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朝日新聞712日の天声人語に、AIで作成された論文は自分のものになっていないから内容を思い出せない、身になる思考や知識を得るには負荷も必要であるといった趣旨の文章が載っていました。その天声人語は「AIは、聞けばいくらでも答えを返してくれる。でも、私が何を問うべきかは、教えてくれない。何に疑問を持ち、どんな問いを立てるのか。そこにこそ、人に残された創造性があり、人間の面白さがあるのではないか」と結ばれています。中学校においても、生徒はもちろん、教員の間でもAIの活用が進んでいます。活用することで、よりよいものが短時間で作れるなら、どんどん活用すべきだと思います。しかし、AIを使うことにより何が失われるのか、どこに課題があるのかといった視点は常に持ち続ける必要があります。今週は、読書週間。生徒は自分の好きな本を選んで20分間読書します。担任も入れ替わり一緒に本を読みます。全員が一斉にパソコンに向かう姿はよく見かけますが、読書を一斉にしている姿は最近あまり見かけなくなりました。『すごい習慣大百科』(堀田秀吾著)によると、1日平均30分程度の読書で学力が向上するとの研究結果も出ているそうです。AIによる効率的な学びと、読書によるひと手間かけた習慣としての学び。どちらも同じ学びですが、身に付けるという点では、読書の方に分があるようです。

 

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 1年生の英語の授業。自分を紹介する作文で、部活動はチーム、クラブどちらを使ってもいいけど、チームならon the team、クラブならin the clubと書くよう言われていました。この前置詞の使い方の違いについて、英語の先生なりのわかりやすい説明はありましたが、そもそもチームとクラブの違いって何かと疑問に思い、調べてみました。

 チームは共通の目標に向かって協力する人々の集まり、クラブは共通の趣味や活動を楽しむ人々の集まりと説明されていました。チームというと集団の一員としてのメンバー、クラブは個の集まりとしての集団といったイメージはあります。集団が中心か個が中心か。今の世の中、どちらかというと、チームというよりクラブ的なものが好まれている感じがします。学校の部活動も、昔ながらの勝つために個を犠牲にして頑張るぞといったことより、メンバーがどれくらいスポーツなり演奏なりを楽しめるかが重視されています。ただ、一方で、ドラマやスポーツなどを見ていると、チームがもてはやされている現実もあります。もしかすると、これもクラブ的な集まりが多くなる中で、昔ながらのチームに対する郷愁的なものが反映されているのかもしれません。

 学校もチーム学校といういい方をされます。しかし、中身はけっしてチームというほど個より集団が大事といった感じはしません。学校は、子供の教育という大きな目的を共有した人たちの集まりであることから、チームという言葉がふさわしいことは確かです。しかし、均一化していくことで磨かれる強さではなく、個性(良さ)を発揮する中で生まれる強さ(しなやかさ)が求められています。そんなチームの一員として、保護者や地域の方々に参画していただければ、最高の学校になっていくのではないかと思っています。これからもご協力よろしくお願いします。

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 アリストテレスという古代ギリシャの哲学者は、『ニコマコス倫理学』という書物の中で、幸福に生きるための徳として中庸ということを説きました。中庸とはほどほどといった意味ですが、例えば、臆病と無謀の中庸として「勇気」を徳と位置付けるといった感じです。単純な真ん中とは少し違いますが、とても大事なとらえ方です。中学生のような思春期の子供たちは、得てして極端な考えに陥りやすいところがあります。人間関係においても、好きか嫌いかのような二択でしか判断できず、それが自分を苦しめていることもあります。いい加減、適当、ほどほどといった言葉は、取りようによっては、手を抜くといったマイナスにとらえられる面もあります。しかし、本気で頑張りながらも、どうやったらみんなで仲良く前に進んでいけるか、「いい」加減で、適当(適切)な道を探っていけるといいなと思っています。

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 理科の授業で生物のからだについて学んでしました。煮干しやあさりなど、普段食べているものなのに、理科室で、解剖するための実験材料になった瞬間においしそうに感じなくなるのはどうしてだろうかなどと考えながら見ていました。自分の少し前の世代までは、授業でカエルの解剖が行われていたと聞きます。時代が少しそれてくれて本当によかったと思っています。ただ、個人的に、アメリカザリガニを捕まえて解体し、それをエサにして釣りを楽しんでいたので、解剖のようなことは遊びを通して行っていたようにも感じます。身近な食べ物も実際に生きていて、私たちと同じような体を持っているということに気づくことってとても大切です。人間は他の動物の命をいただかない限り生きていくことはできません。だからこそ、食べ物を大切にすること、その命で生かされている自分自身の大切さに気付くことも大事なのだと思います。この子供たちはそれをどこまで理解できているかはわかりませんが、煮干しと向き合って学んでいる姿は真剣そのものでした。

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修学旅行で久しぶりにお坊さんの話を聞きました。いつ聞いても楽しく、子供たちを上手に笑わせながらも、しっかり薬師寺の宣伝をしているところは、さすが商売上手といったところかもしれません。その薬師寺のお坊さんは、こんな話をしました。「仏様の前に立ったら必ず手を合わせてください。仏さまを横目で見るだけで通り過ぎるような行為を他の人が見たら、なんて理解のない学生だと思われます。でも、ちゃんと手を合わせる姿を見たら、この学生は本当にいい学生だと誰もが思います。決めるべきところをしっかり決めるだけで、人の見方は大きく変わるのです。」というような趣旨の話でした。薬師寺は、法相宗という宗派のお寺です。法相宗は、この世の中はすべて心が作り出したものだと考えます。この心のおおもとを阿頼耶識といいますが、これを転換することで悟りを目指します。心の本質は見えません。でも、心は私たちの立ち居振る舞いに表れるとし、逆にものの見方を変え、立ち居振る舞いを整えることで、心も浄化され、悟りへと向かわせることになるのです。子供たちは、必要以上に周りの目を気にするわりに、学校の外に出ると赤の他人の目は気にしません。登下校も含め、熱海中学校の生徒としてのふるまいを大切にできれば、周りの目も変わり、さらに自分自身もよりよく成長していくことにつながるはずです。これこそまさに熱中プライドです。薬師寺のお坊さんの話から、そんなことを学んだとすれば、本当にうれしいのですが、どうでしょうか。

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 1年生の理科の授業。なぜ植物は緑なのかという課題のもと、植物の種類について学んでいます。今回注目したのは、板書です。ICTが盛んになっている昨今。タブレットを使ったまとめや資料提示は当たり前のようになっています。それでも黒板を使った授業には何物にも代えがたい魅力があります。その理由って何だろうかと考えました。写真や教科書の図は、すでに出来上がっているものです。どのクラス、誰が見ても同じ。しかし、黒板に書かれたこの図は、ここにしかないものです。そのまさに作品と呼べるものを目の前で完成していくわけなので、興味や理解が深まらないはずがありません。実演販売のような魅力がそこにはあります。教師の力量として、このような板書が当たり前のようにできることはとても大切なことだと感じました。

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 3年数学の授業。因数分解の問題を解いています。xy+x+y+1の因数分解に苦戦しています。既習事項を生かして何とかならないだろうか。その時、先生が語り掛けます。ただ見ていても見えてこない。何かに注目すると見えてくることがないですか?運動場をぼーっと見ていても何もわからないけど、体育の先生に注目すると見えてくることがあるといったように。そして、とりあえずxに注目してみようかと話し、そこからy+1でくくれそうなことが見えてきました。別に因数分解ができなくても生きていくことはできます。しかし、因数分解の問題を解くことを通して、対象の見方、人の見方、社会の見方など、物事を多角的に見ていく方法について学んでいます。数学を通してまさに生き方を学んでいるように感じました。

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 再び、2年国語。清少納言の「眼」について自分の考えをまとめる授業。自然に目が向いているとか、一つのことに集中して見ているとか、中には、時の流れに注目するといった自分と同じ考えの生徒もいました。その中でイケメンの坊さんの話が出てきている子がいたので、「今だったらめめとかかな?」とこちらが聞くと、「誰ですかそれ?」との返答。「スノーマンの目黒蓮のことだけど」と聞き返すと、「私はめめではなく、高橋文哉です。スノーマンなら佐久間です。めめは○○さんです」との力強い答え。そのこだわりこそまさに現代の清少納言なのかなと感じました。さて、わが校の清少納言たちはどのように学びを深めていくのか、とても楽しみです。

 

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 5月12日、中学2年生が、国語で『枕草子』の学習をしていました。秋は夕暮れってなんとなくわかる?と私が聞くと、そうですねとうなずく生徒。じゃ、夏は?と聞くと、やはり夜かなとの答え。「平安時代の清少納言と感性は似ているよね。先生も同じだけど、きっと中学生くらいの女子の方が、清少納言の感性と近いと思うよ」と話しました。あとから、教科担当が、お坊さんの話を聞くならイケメンがいいという記述にみんな共感していたと教えてくれました。古典を通して気持ちが通じ合っている生徒の姿に喜びを感じつつも、いつも時代も結局イケメンなのかなと、ちょっと複雑な心境にもなりました。

 

 このような感じで、清少納言に負けない「校長ブログ」を、『あけぼの日記』と称して載せていきたいと思います。今回は写真を入れていませんが、今後は写真付きでアップしていきたいと思います。ご感想などありましたら、お寄せいただけると嬉しいです。これからよろしくお願いします。

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